音楽理論という言葉に苦手意識を持っている人がいる。
音楽理論とは要は後付けであり、例えば「ドレミファソラシド」という音の並びに、「ドレミファソラシド」という呼び名を付けたもの。
同じく誰が命名したかは知らんが、「長調」はメジャー、「短調」はマイナーというのはなんとなく知ってると思う。
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- ちなみに「ドレミファソラシド」はイタリア語
日本語は「ハニホヘトイロハ」
英語は「C D E F G A B C」
ついでにドイツ語は「ツェー デー エー エフ ゲー アー ハー ツェー」
- 同様に「#(シャープ)」を日本語では「嬰(えい)」「♭(フラット)」を日本語で「変(へん)」という
つまり「嬰ハ長調」は「C#メジャー」である。
何のことはない、「この響きはこう呼ぼう」と誰かが決め、「この音と、この音は一緒に鳴らすと良い感じだ」とか、「悲しい響きだ」とか、「この2つの音は一緒に鳴らすと気持ち悪い」とかに、偉そうな名称を付け、体系的に整理しただけのものである。
整理したらしたで、色々と理屈が出来てくる。
V→I は終わった感じとか・・・(ここで詳しく書く気はないです)
で、ずばり俺の考えを書くが、
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- 音楽理論はそこまで高尚なものではない。
- 音楽理論を知っていれば便利であり、何の損もない。
- 音楽理論を学べる機会があれば学ぶべきである。
となる。
ここで、最も言いたい事がある。
よくこんな人がいる。(しかも割と多い)
「音楽理論を覚えると、それに囚われて個性がなくなる」
「音楽理論とかに囚われると自由な発想ができなくなる」
「はぁ??」です(笑)
そもそも音楽理論を学んだくらいで無くなる個性って何?
そんな事で無くなる程度のものを個性とは呼ばないだろ?
何かが無くなったとしたら、それはただの癖じゃね?
あえてその無くなった癖を個性と呼ぶとしたら、そんな程度で無くなる個性で何ができるの?
はっきり言って、個性が身につく前の段階だと思うわ。
本当に個性を持ってる人は、基本を学んでも、音楽理論を完璧にマスターしても、変わらず個性的です。
もっと沢山の音楽を聴いて、沢山ギターを弾いて欲しい。
要は練習である。